喜界島ドットコム 【俊寛の墓 - 鬼界ヶ島から受け継がれたもの】

俊寛の墓

俊寛の墓 - 鬼界ヶ島から受け継がれたもの

遙か昔、鬼界ヶ島(きかいがしま)という島があった。
この島は、1177 年 の鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、藤原成経、平康頼が流された島である。
1178 年、藤原成経、平康頼は赦免され京に帰ることができるが、俊寛のみは赦されず、ひとり島に残された。
その後、俊寛は死を決意して、食を断ち自害した。

その俊寛の墓が、ここにある。

ただ、鬼界ヶ島が現在の何島にあたるのかは、はっきりとしていない。
諸説によれば、薩南諸島の下記の島のどれかではないか、ということである。
○喜界島:俊寛の墓と銅像がある。墓を調査した人類学者の鈴木尚氏によれば、喜界島外出身の相当身分の高い人物ではないか、とのこと。
○硫黄島:俊寛の銅像がある。
○伊王島:俊寛の墓がある。

私自身、歴史上のことはあまり分からないが、「鬼界ヶ島」というくらいだから「喜界島」がそうなのではないかなー、と勝手に予想している。

初めての喜界島訪島

初めての喜界島訪島 - 番外編

2 回目の喜界島訪島

俊寛

俊寛 (しゅんかん、康治2年?(1143年?)-治承3年3月2日(1179年4月10日))は平安時代後期の真言宗の僧。村上源氏の出身で、木寺(仁和寺院家)の法印寛雅の子。(別の呼び名として「僧都」と呼ばれる位の名を付け、「俊寛僧都」(しゅんかんそうず)などとも呼ばれる。)

引用:
俊寛
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最終更新 2008年1月19日 (土) 17:59