喜界島ドットコム 【塩道 - 美しい砂浜の広がる集落】

塩道の砂浜

塩道 - 美しい砂浜の広がる集落

昔、ケサマツという絶世の美女がいたそうだ。
島中の若者が、この女に思いを寄せていた。


ある日、ひとりの若者がケサマツに言い寄った。
今だったらストーカーと言えるほど、執拗につきまとったらしい。
耐えきれなくなったケサマツは、その青年に馬の番を頼んだ。
馬が逃げないように、青年の足と手綱を結んで。
そして、傘の開く音で脅かし、馬を走らせた。
青年は長い砂浜を馬に引きずられ、無惨な死を遂げた。
その後、塩道長浜では夜な夜な赤子の泣き声がしたという。


ここまでは、よくある言い伝えなのだが。
どうやら、私の嫁の先祖のひとりに、ケサマツがいるかもしれないらしい。
私も、言動には充分注意しようと思う。

砂浜の散策

と、言い伝えの話はここまでにして。
きれいな砂浜が広がっているので、散策をしないわけにはいかない。
整備された遊歩道を進む。

塩道の遊歩道

白い、白い、砂に覆われた砂浜が見えた。
晴れたいたらどんなに美しいのか、と天気に恨み節を放りつつ、白い砂を手に取ってみる。
石川啄木の『一握の砂』を思い出しつつ、別に私は悲しい気持ちでも何でもないので、後から違和感を感じたり。

塩道の砂浜
塩道の砂浜

喜界島の空は曇っていたが、遙か洋上の空は、少しだけ、日が射していた。
海が大きくグラデーションを成していて、つい、カメラを構えた。

塩道の砂浜

初めての喜界島訪島

初めての喜界島訪島 - 番外編

2 回目の喜界島訪島

『一握の砂』

『一握の砂』(いちあくのすな)は、石川啄木の歌集。1910年12月1日、東雲堂書店より初版が刊行された。序文を書いている藪野椋十とは、当時の啄木の勤務先である東京朝日新聞で社会部長を務めていた渋川玄耳のことである。

三行分けによる散文的なスタイルの短歌は、若い世代を中心に多くの追従者を生んだ。特に啄木の郷里の岩手県では、刊行前後から地元紙に啄木の作品が掲載されたこともあり、その影響は大きかった。その一人が旧制盛岡中等学校の後輩で当時在学中だった宮沢賢治で、本作の刊行と同時期に短歌創作を始めており、啄木の影響と推察されている。

引用:
一握の砂
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『ウィキペディア(Wikipedia)』
最終更新 2006年6月30日 (金) 13:17