喜界島ドットコム 【百之台 - 喜界島で最も標高の高い場所】

百之台

百之台 - 喜界島で最も標高の高い場所

喜界島の中央部。
標高、204m の場所にある百之台。
ここは、喜界島で最も標高の高い場所だ。
晴れていれば、眼下に光り輝く珊瑚礁の海を見ることができる。
ただ、私が訪れた際には、あいにくの空模様。
強風と雨で、視界はあまり良くなかった。

百之台から海を臨む

翌日、再び訪ねてみる。

翌日、少し天気が良くなったので、再び訪ねてみた。
その時の写真。
人物は隠してある。心霊写真ではないので、誤解なきよう。

百之台から海を臨む

もっと晴れていれば、東シナ海や太平洋を一望できる。
「奄美十景」のひとつにも数えられていて、長時間みていても飽きることがない。

百之台の案内板

七十七曲り坂、降り口。

百之台から車で少し移動すると、七十七曲り坂の降り口がある。
妻が、幼き頃、登ってきたことがあるらしい。


百之台の崖の下にある阿伝集落から百之台へ登る道が、七十七曲り坂だ。
個人的には、「まがり」の送り仮名は「曲がり」なのだが、看板にこう書いてあるので、「曲り」で統一する。


ところで、百之台は「ヒャアヌデェ」と発音するそうで、ヒャアとは「按司」のこと。
按司(あじ/あんじ)は、農耕社会が成立した 12世紀頃 に使われた言葉で、沖縄周辺のグスク(城)を拠点とした地方豪族の首長やその家族などの称号として用いられたものである。
そして、「ヒャアヌデェ」で「按司がいる山」の意。
百之台のすぐ下には「城久グスク遺跡群」が位置している。
これにまつわる伝承は、琉球王国統治時代なので年代は異なるが、「按司がいる山」というのは、なんとなく関連を見出せそうである。

七十七曲り坂

初めての喜界島訪島

初めての喜界島訪島 - 番外編

2 回目の喜界島訪島

東シナ海

東シナ海(ひがしシナかい、中国名「東海」)は、対馬海峡を挟んで日本海に接し、日本に於いては九州の西方及び沖縄県の琉球列島の北及び北西側、朝鮮半島および黄海の南方、中国大陸の東方、台湾島の北方にある海域を指す。英語表記はEast China Sea。

引用:
東シナ海
フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』
最終更新 2008年1月5日 (土) 09:00

太平洋

探検家のフェルディナンド・マゼランが、1520年~1521年に、世界一周の航海の途上でマゼラン海峡を抜けて太平洋に入った時に、荒れ狂う大西洋と比べたその穏やかさに、「El Mare Pacificum」(訳:平和な海)と表現したことに由来する(「pacific」の原義は「平和な」。英語の「peace」も同源)。またマゼランは太平洋に入りセブ島まで、太平洋を横断する間に暴風に遭わなかったためにこのように名付けたともいう。

従って、日本語の「太平洋」(太平/泰平な洋)は、この「El Mare Pacificum」をほぼ忠実に訳した語である。

引用:
太平洋
フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』
最終更新 2008年2月10日 (日) 17:59

琉球王国

琉球王国(りゅうきゅうおうこく)とは、正式国名を琉球國とする琉球列島に存在した王国。1429年に成立したと考えられるが、1462年には王統が替わった。15世紀に明の冊封国となり、17世紀初頭に薩摩藩の付庸国となった。1871年の廃藩置県で鹿児島県下に編入されたが、1872年には琉球藩となる。1879年の琉球処分で王統の統治権がなくなり滅亡した。

最大版図は奄美諸島と沖縄諸島及び先島諸島(大東諸島と尖閣諸島は含まない)。王家の紋章は左三巴紋で「ひだりごむん」と呼ばれた。

引用:
琉球王国
フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』
最終更新 2008年2月11日 (月) 10:47