初めての喜界島訪島 - 番外編

結婚の挨拶 – 本来の目的

この旅の目的は 「観光」 ではない。
「結婚の挨拶」 が目的である。
せっかくなので、この辺りについても書いておこうと思う。

訪問の直前、私は自宅でひどく緊張していた。
スーツで行こうか、着物で行こうか、などと本気で悩んでいた。
結局、妻の助言により、ジーンズにシャツというラフな格好で赴いたのだが、それほどに緊張していたのである。

妻の両親とは、電話で話したことはがあった。
ただ、実際に会ったことはない。
そんな中の 「結婚の挨拶」 であった。
その日まで、結婚の挨拶をしにいかなかったのに特に理由はない。
ただ、言い訳をさせてもらえば、航空料金が高い!ということ。
往復で、ひとり 9 万円近くするのだ。
ふたりで 18 万円。
以前、私がウズベキスタンを旅したときの、全行程の料金である。
これは高い。すぐには行けない。
そんなこんなで、ずるずると遅くなってしまっていた。

ただ、いつまでも引き延ばすわけにはいかない。
そんなこんなでの訪問であった。

空港へのお迎え。

別のページでも書いている通り、空港へは、妻の母と妻の祖父が迎えにきてくれていた。
当然、初対面である。
飛行機の中では「空港どこ?」などとアホな会話を繰り広げていたが、飛行機を降りて引き戸を開けた途端にすぐにご対面である。
当然、自己紹介をするわけだが、私の声は裏返っていた。
話はそれるが、空港の入館ゲート(引き戸)を開けると、すぐ右側は、荷物受け取りカウンターである。
その目の前で、私は声の裏返った自己紹介をした。
この裏声には、平井堅もびっくり。
受付の女性も平井堅が驚く裏声に聞き惚れていたと思う。
こうして、無事に自己紹介は終わったのだ。

妻の実家に着いて。

この後の行き先は、当然、妻の実家である。
正直、家に着いた直後からの記憶が全くない。
妻の祖母に玄関で挨拶をした記憶はあるのだが、その後が完全に白い。
到着は昼過ぎ。
夕飯まで何をしていたのか、全く記憶がない。
やばいくらいにない。

妻の父との対面。

私は、「娘さんを僕にください。」などという挨拶はしたくなかった。
なんかドラマみたいだし、どうにも現実感がない。
私がここにきた時点で、「ああ。このふたりは結婚したいんだな。」といったことくらいは察しているはずだし、察しているというか、妻が既に伝えているはずた。
妻からの告白を受けた妻の父は、差し歯が抜けたらしい。これ、本当。
そんなわけで、挨拶は「(妻の名前)さんと結婚させていただく、(私の名前)と申します。これから、よろしくお願いいたします。」といったくだりにしようと思っていた。
当然、正座で背筋を伸ばして。
(お父さんは、波平みたいな和服を着ておでましになるのかな)なんて思ってたし。

夕刻、お父さんの帰宅を待たずして、夕飯にすると言う。
食べてる最中に、きっと仕事から帰ってくるだろうから、と。
ああどうしよう。お味噌汁をすすっている最中にお父さんが帰ってきたら。
波平のような和服を着ておでましになるのだから、当然、味噌汁の飲み方にもうるさいはずである。
「きちんと香りを楽しんでからすすりなさい!」などと言われたらたまらない。
ましてや、漬け物を食べている最中におでましになられたら、お父さんにとって私から発している初めての 「生の音」 は、「ぱりぱり」という漬け物を食べている音になってしまう。
とんでもないことになった。
私は、極度の緊張の中、時間の流れに身を任せていた。

がちゃり、という音がした。裏口から。
お父さんのお帰りのようだ。
(なんで裏口から帰ってきたんだろう。)
そう思ったが、当然、口には出さない。
きっと、止ん事無き事情があるのだ。
向こうの部屋から「するする」と音がする。
きっと、和服に着替えているに違いない。
ああ。ついにこのときがきた。
私は、「今このときから、漬け物だけには手を付けまい」と心に誓い、静かにそのときを待った。

ついに、そのとき。

廊下を歩いてくる音がする。
ついにおでました。
私は、さり気なく正座に足を組み替え、障子が開いた途端に立ち上がった。
「は、は、はじめまして!この度、(妻の名前)さんと結婚させていただくわっほい・・・!」
お父さんはランニング姿だった。波平じゃなかった。
黒く陽に焼けた素肌がまぶしい。
「先に風呂に入ってくるから!堅い話はなしにして。ゆっくりしててね。」
お父さんは、白い歯を見せて去っていった。風呂場に。
私はへなへなとその場に座り込んだ。

結局、お父さんが風呂から上がった後は、乾杯をして、自己紹介をして、夕餉を楽しんだ。
「事実は小説より奇なり」なんて言うけど、こんなにくつろいだ雰囲気で親交を深められるとは思ってもみなかった。
それほど、楽しい時間だった。
今思えば、気張った状態の私ではなく、素の状態の私を見るために、お父さんがそういった方向に持っていってくれたのかもしれない。
確かに、人はくつろいだ瞬間にこそ素の自分を曝け出すものだ。

楽しい時間は過ぎ去り、就寝の時間となった。
畳に布団。こんな形で眠るのは何年ぶりだろうか。
朝まで一度も起きず、ぐっすりと眠った。

こうして、運命の日はゆっくりと幕を閉じていった。
翌日から、喜界島のみどころ巡りをすることになる。
そして、有意義な時間はあっという間に過ぎ去っていった。